沖縄空手無想会(東広島)

新垣清最高師範によって再興された沖縄武道空手を広島で追及していく様子です。

腕は添えるもの

どうもチンクチというか、トルクというか、こやつらを掛けるタイミングというのが重要なようだ。

腕を添えてチンクチ(トルク?)を掛けるとエネルギーが爆発的に突きに浸透する感じがする。

もちろん、ほんの一瞬のタイミングの違いであるが。

しかし、この「添える」という表現は少し誤解を生むかもしれない。別に力を抜く(脱力する)わけでは無い。しかし、確かに腕は「添えて」いる。

これは蹴りでも似たような感覚で行うと、爆発的にエネルギーが伝達される。

まだ、試行錯誤中ではあるが…。

気付いたことをメモ書きしたまでです。

 

以上、文責は筆者にありますが、間違い勘違いがあっても一切責任を取りません。

平成23(2011)年3月11日

夜のニュースを見て今日が3/11だという事に気付きました。

全く世間に疎くなっています。

この年、新垣師範の日本セミナーが始まりました。年明けくらいからセミナーの具体的な日程、場所など話が進みかけていた時に、東日本大震災という未曾有の大災害が起こり、この年のセミナーの開催すら危ぶまれていました。

しかし、数ヶ月経つと徐々に落ち着き、10月に無事セミナーが成功裏に終えることが出来たのでした。

お陰で第一回のセミナーは何年にあったか、忘れることが出来なくなりました。

新垣師範は「この震災で日本人は変わってゆく」と仰っていましたが、それは果たして良い方向に変わるのか、はたまた悪い方に…か。

未だ行方不明者は数千人単位でいるそうです。東北地方の人口はこの8年間で、30万人減ったそうですし、原発事故周辺地域は未だ帰還することができません。それなのに原発事故周辺地域にはもう帰ることができない!と訴えたら、何故か非難されます。

最低20年以内に帰れないのであれば、その地域の歴史、文化、共同体は完全に断絶されます。何故なら世代が変わってしまうからです。ですから20年以内というのは世代を繋ぐ為のギリギリの年数なのです。

原発は完全にコントロールされている」などという発言は誤魔化しであり、いや、大嘘と言ってもいいでしょう。でまかせにすらなっていません。

そして、東北の海岸線は巨大な防波堤により失われてしまいました。

20年前、私が青春18切符を使って日本縦断の旅をし、鈍行列車に揺られて見たあの美しい風景は、もう見られないそうです。

愚痴っぽくなって、あまり良くないですね。

本来ならもっと東日本大震災について公的に発言すべきところですが、ブログ自体、無想会東広島ということで、東日本大震災と無想会との関わりについて記しました。(後半はほとんど私のフツフツとした世間に対する愚痴ですけどね)

 

しかし、本心は、東北地方の本来の姿への復興と発展、また原発事故の真の収束を願っております!

 

 

 

闇夜に霜を聞く

最近(少し期間は開きましたが)、技に於けるエネルギー伝達の事と、そこから派生して基本についての再認識について書きました。

なぜ、今更、エネルギー伝達なのかというと、最近の稽古で背中からエネルギーが派生し、伝達され、手先、足先に放出される感覚を鮮明にに感じる事が出来たからです。

知識から体感に変化したのです。

この感覚が基本の再確認に繋がったのです。

しかし、これにはまだ課題があります。

師範の動きを三度確認すると、技が完全な手打ちとして“ボッ!”と出ているのです(「手打ち」に関しては説明が大変なので、無想会会員以外で興味在る人は新垣師範の著書で確認して下さい)。

師範の行うナイハンチなどの形で時折見せる何気なく出している突きがあまりにも見事なのです。

体のいずれも動くことなく腕だけが「ボッ!」と出てくるのです。師範の著書の表現を借りると「まさに空間を切り裂くように」突きが出ています。

これは恐らく身体内で作られたエネルギーを無駄なく腕に伝える事が出来ているためだと思われます。

翻って私がエネルギーを身体内で作ろうとすると、大きなエネルギーを作ろうとしすぎて動きが身体外に出てしまうのです。

そう鑑みると、もう一度基本に立ち返らざるを得ないなと結論づけられるのです。

今の私の課題は身体を全て締める、腕や手の内のみならず広背筋や脚に至るまで全て締めれるようにならなければなりません。

これは三戦の形のように身体を固めるのではなく、雑巾絞りのように絞ることです。

身体の締め・絞りが有るからナイハンチはあの形(カタチ)なのです。用意で立った瞬間、指先まで伸びるのはエネルギーが指先まで伝わっている証拠です!

ひいては全ての形も一緒です。

だから動かない身体からエネルギーを動くことなく派生させることが出来、「闇夜に霜を聞く」ように技を出す事が出来るのでしょう。動かないからこそ、この様な表現が当てはまるのだと思います。

ちなみに「闇夜に霜を聞く」というのは鉄砲の引き金を引く時に使われる表現です(詳しくは「沖縄武道空手の極意3」参照)。これは鉄砲の弾に対する言葉ではなく、つまり突き蹴りそのものに対する表現ではなく、技の引き金、即ちエネルギーの出所に対応する言葉です。

技の引き金はどこか?

身体内です。

以上、文責は筆者にありますが、間違い勘違いがあっても一切責任を取りません。

空耳

手の内の考察をしていると、身体の筋肉の締めが足りないと気付き、この締めは何の為にやっているかと考えるとエネルギーの伝達の為であると気付く。

すると、エネルギー伝達を拳先まで行き渡らせるには、指先をキチキチに伸ばす貫手の稽古が良いとなってくる。

更に指先までエネルギーを無駄なく伝える為の稽古は何をするべきかと考えると、肘の筋抜きが一番効率が良い。

突き詰めれば、初心に帰って行くのが面白い。

「だから、俺は7年前からずっと言ってるじゃない!!」

何か聴こえてきましたが、多分空耳でしょう…。

 

手の内の考察その2

空手の突きは、拳を相手に当てると考えるのではなく、身体内で作ったエネルギーを相手に伝えるものであると考え、最後に手の内でエネルギーを圧縮すると考えるとスッキリする。

 

以上、文責は筆者にありますが、間違い勘違いがあっても一切責任を取りません。

手の内の考察

手の内が甘いというのが自分の中での課題であったが、結局、貫手からの絞りが甘いという結論に行き着いた。

突きのゆっくり稽古での動作でとことん身体を雑巾絞りの様に、一滴の水も出なくなるほど絞りきるよう稽古を行い、修正してみようと思う。

以上、文責は筆者にありますが、間違い勘違いがあっても一切責任を取りません。

無想会の「型・形」はカッコいい

今、私の道場の「成趣館」では3月に硬式空手の試合に少年部から2名出場する為、試合用の稽古を行なっています。

そこで中学生女子の部に出場するMカゲに、相手の出鼻を挫くため左の順突きの練習をさせているのですが、無駄の無い突きを打てるようにピンアンやナイファンチを絡めて教えています。

そこで、この4月から高校生になることもあって、そろそろ本格的に身体操作を教えていこうと計画しているので、ピンアン初段はこう変わるかもしれんから、とパッサイの初動と同じようにやってみせました。

すると、

「カッコいいっ!!」

とMカゲは思わず発したのでした。

Mカゲは小学3年生から私の所で空手を始めたので他の所の空手は知りません。

そんな子が一切のフィルターなしで見た無想会の、いや、空手の源流である松村宗棍の型・形を「カッコいい」と評したのです。

極限まで無駄を削ぎ落とし、実用のみに落とし込んだ動きは、観るものを引き込む圧倒的な美しさがあるのではないでしょうか。

まあ、「カッコいい」の3分の2は私のカッコ良さからくるものと思い込んでいますが。

そういえば、ローハイやってみせた時も、他の小学生がカッコいいと言っていたなあ。

やはり私がカッコ良いのだと思います。

以上、文責は筆者にありますが、間違い勘違いがあっても一切責任を取りません。