沖縄空手無想会(東広島)

新垣清最高師範によって再興された沖縄武道空手を広島で追及していく様子です。

ブンッ!という突き

ブライアン先生の突きの動画を観ていると、ゆっくりなんですが「ブンッ!」て鳴ってます。これは不思議なことに音を消していても「ブンッ!」て鳴っているのです。

これはどういうことかというと、私もうまく説明出来ませんが、つまり耳に聞こえる音というよりも動き自体が「ブンッ!」なのです。

よく新垣師範が、俺の突きは「ブンッ!」て鳴るんだよ、とおっしゃっていますが、こういうことかー、と納得させられます。

これは、我々、初心者、中級者ぐらいの突きとブライアン先生の突きを見比べてみるとよく分かります。

これは面白いことに、世の中ただ突きの速い人はごまんといますが、それは「ブンッ!」ではないのです。

しかし、ブライアン先生のは速さだけではない「ブンッ!」なのです。

 

あっ、遅れましたが、開けましておめでとうございます。

本年もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。

 

すばらしき演武線!!

去る11月23日、24日と新垣師範の沖縄講習会を受けてきました。

今回のメインテーマは縦の演武線と横の演武線!

しかし、私は講習会でまったくそれらを理解する事は不可能でした。

何故か!!

当日、風邪を引いて体調が最悪となってしまい、ほぼ見学に終始してしまったのです。

前日から37℃ちょっとの微熱が出ていたのですが、食欲もあるし一晩寝たら治るだろう、と高を括っていたら、一日目、多少動けるものの動くとしんどい。二日目ほぼ動けず。今までも体調が優れないまま講習会を受けた事は何回かあるのですが、今回は過去最悪の状態になってしまいました。(出発日前日までは調子よく、体調管理も徹底していたつもりだったのですが・・・)

結局、講習会の内容は記憶するも動く事が出来ないので、実体験としての納得が出来ずに終わってしまったのでした。

ということで、内容がまったく理解出来てないので、このブログでも講習会について報告する事が出来なかったのです。

広島へ帰った後、数日経ってから、この縦・横の演武線に沿った稽古が出来るようになったのですが、この稽古している時の最初の印象は「なんとめんどくさい、足の位置をこんなに合わさなければならないなんて効率が悪くて遅くなるんじゃないか?」と疑問ばかりでした。

しかし、だんだん形を演武線に合わせる動きに慣れた頃、稽古にHガクさんが参加されたので一緒に「セイシャン」をやりました。するとすかさずHガクさんから「この動きはどういう意味ですか?」との質問。

そこでHガクさんやられ役で形の分解(もちろん手を添えて軽く体重を掛ける程度です)。

すると何という事でしょう!形と演武線、そして足の位置がぴったり一致するのです。

あまりにうまく出来過ぎていて、私はHガクさんそっちのけで一人驚き、感動していたのでした。

そして、今度は一人で形をうってみました。ちゃんと対手を想定してきちっと体の割と重力落下を使いながらやってみたところ、何も考えることなく演武線と足の位置がピタッと自然にはまっているのです。寧ろその位置でないと体がうまく動いてくれないのです。演武線と正中線、そして足の位置は合わせるのではなく、勝手に合うのです。

最初は、一歩目はここに足を置いて二歩目は横に向かせて三歩目はここに戻ってと、一生懸命考えながら形を行っており、なんて手間の掛かることを、と思っていたのですが、その考えは全くの間違えだったのです。

歩幅や足の位置など考える必要も無ければ、ましてや覚える必要など全くの無駄でしかないのです。

ちゃんと正しく形を行えばその通りになるのです!いや、ならざるを得ないのです!!

形を行う時、足を演武線に合わそうとする、それは形ではなく踊りになってしまう。

正しく対手を想定し、体の割と重力落下が出来ていれば、演武線と足の位置は勝手に合っていく、合わなければ何かが間違っているのです。

縦横の演武線の認識を持つだけで形の存在意義がガラッと変わってしまう、縦横の演武線がない形は形としての存在意義が薄れてしまうのではないか。

これが今回の講習会を受けて、その後、実際に体を動かして自分なりに得た結論です。

何回も言いますが、これは凄い!!あまりにも凄く、感動が後から後から押し寄せてきました。

講習会に見取り稽古だけでも参加出来て本当に良かったです。

ただ、惜しまれるのは、講習会の現場で新垣師範に自分の動きを見て貰えなかった事です。

参加された他の会員の方達はこの感動を現場で味わっているのですから本当に羨ましいです。

次回は、体調万全で臨みたいです。(しかし、今年は毎回のようにタイミング悪く体調を崩してしまいました。私が何か悪い事でもしたのか!・・・あっ・・・心当たりはある?)

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伝えることの難しさ

最近、新垣師範のYouTubeへの動画投稿が頻繁になってきました。

最初はトークだけで終わっていた動画も最近では、講習会の様子を始め、新垣師範自身の動きまでUPされています。

これは、ある程度まで日本国内での無想会空手の普及が、一つ区切りがついた、という事なのでしょう。

おかげで、関係者からの情報によると、講習会の参加希望者が近年にない勢いで増えているとか。

師範は少し前までご自身の空手を動画で紹介することに対して、非常に慎重でした。

それは、どんな物事でも伝言ゲームの如くちゃんと最後まで伝わると言うことは至難の業であるからです。

実際、空手はその内容を全く伝えられていません。

ここからは私の経験ですが、私は本職で神職をしております。よく地鎮祭などで事前に参列者に、玉串奉奠の作法を実際にやってみせながら端的に教えます。

「榊を神前にお供えしたら、二礼二拍手一礼して下さい」

と、細かい部分は省いて大まかなことだけしてもらうように教えます。

しかし、これが皆さん結構間違える。

一番多いのは、特に印象的な二拍手のところだけが記憶に残るのか、二礼をせずにいきなり二拍手をする方。

そして、どこかで二礼をしなければならないという記憶だけ残っているのか、二拍手をした後、二礼をする方。

中には、私が参拝者に説明する時に、手元が見えるようにと横を向いて説明をしたら、そのまま真似して、横を向いて行う方までいたことがあります。

実際に統計を取ったことは無いのですが、私の肌感覚としては半分くらいの人が間違っているように思えます(これだけ伝わらなければ、実は私の伝え方が悪いのかも!!)。

その度に「ああっ、こうやって空手の形も伝わっていったのかー」と妙に感心してしまいます。

そんな経験も踏まえて考えると、空手というものを、沖縄、日本、中国の歴史、文化、政治の面からも徹底的に調査した新垣師範には、誰一人無想会空手を理解し、体現する者がいない状況で、動画という二次元の不完全な状態で公開することの危うさを肌身に感じていたのでしょう。

しかし、今、無想会では日本人の黒帯も誕生し、そして、その後ろには黒帯になれるだけの実力者も沢山揃い、昇段審査を待つばかりになっています。

そんな状況に新垣師範の中で、一区切り付いたのだと思います。

それだけ、このYouTube公開は大きな動きです。

しかし、本質としての動きはまだ公開しきっていません。(まあ、正中線の話は本質と言えば本質ですし、さわりといえばさわりとも言えます)

しっかりと本質を見極めたいという方は是非今回11月のセミナー、東京、大阪、沖縄に参加されて下さい。

詳しくは下に掲載しております。

私も、新垣師範に「公開して後悔したよ〜」とお得意のギャグを言われないように、がんばろー。

以上、私は全てに於いて一切責任を取りません、知らんけど。

 

最新動画

 

 が、リリース後の一日で3、000を超えました。

 さらに、

波の動きで縦に跳ね上げる!新垣清の突きの秘訣!

 が、瞬く間に視聴数30,000を超える伸びです。

 

第十七回 新垣清最高師範 直伝
正規料金受講の受付が開始されました
令和元年11月 東京・大阪・沖縄で開催
  

9/14(土)ブライアン先生セミナーin東広島

 

ついに実現しました。ブライアン先生を東広島の道場にお招きしてのセミナー。

遠方なので、実現することはないと思っていたのですが、沖縄同好会のT氏の口添えと東京のO氏の協力によって実現しました。

お陰で参加者も8名と1名の見学者と、辺鄙な片田舎の道場にも関わらず、多くの人が参加してくださりました。

午後2時過ぎにブライアン先生と寺家駅近くのラーメン屋で合流して、いざ道場へ。

午後3時前になると、続々と人が集まってきました。

今回は、ほぼ初めての新規のKZ氏が参加されました。無想会の稽古としては、一年前私が指導した福山稽古会で稽古はしてますが、その一回だけです。

その他、福山のKUさん、島根のKRさん、Iさん、Hさん、大阪からY田氏、うちの道場からはHGさんの参加で始まりました。

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稽古は無想会本部の通常稽古に準じる形で行なっていただきました。

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準備運動から基本突き。前列には初心者に並んでもらってます。

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ブライアン先生の指導とY田氏の補助によって稽古が進められていきます。

全体稽古ですが、ブライアン先生の動きがしっかり見ることのできる環境です。

上段、中段突き、裏拳など一通り行った後、柔軟をして、蹴り。

休憩を挟んで、円陣を組んで、個別指導に近い稽古。

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個々の弱点、悪癖を修正してもらいます。

セミナーも終盤はナイハンチ初段、太極初段、ピンアン二段を。

そして、最後はそれぞれの質問を受け付けるという形で時間まで行いました。

また、途中で現在、私の道場を休会中のSジさんが見学に来てくれ、久し振りの再会を懐かしむことも出来ました。

夕刻時西日の強く暑くなる道場にも関わらず、ブライアン先生は全力で我々を指導していただき、終了後は少しグロッキー状態となっていました。それもそのはず、こちらで用意していた500mlの飲料を6本飲んでも一回もトイレに行くこともなく、ブライアン先生も「ペットボトル6本分の水分はどこに行ったの!?」と自分ながら驚いておられました。

ブライアン先生、本当にありがとうございました!!

そして、稽古後は最も過酷と噂される中四国懇親会で最後を締めたのでした。f:id:i_taka_s50_4_7syunpou108:20190918010810j:image

ブライアン先生の日本に滞在する期間はあと一年と半年です。その間にあと一回くらいは、また是非広島に来て頂きたいものです。

私が東京に行くという選択もあるのですが、これからの時期はちょっと難しいなあ〜。東京へは来年ですね。

 

 

 

演武線に於ける彼我の関係性

「五十四歩」は自分だけを考えると、演武線からずれることが度々あり、まるで滅茶苦茶な形のようにも思われます。

しかし、闘いというのは常に相手が存在してはじめて成立するものであるという事を念頭に置いて考察すると、「我」が演武線から外れている時、「彼」の身体は演武線上に存在するのではないか。

と思い、金曜日の一般稽古に体格の良い中学生が来たので実験台になってもらって試してみました。(最近、中学生以上が女性ばかりになってしまって、私は女性には優しいので試すに試せなくなってしまっていました。体格の良い男子中学生は恰好のカモです)

すると、やはり仮説通りでした。

単独形は相手が現実には存在しないので、どうしても独りよがりになりがちですが、闘いは常に彼我の中に存在します。ですから相手の存在場所によっては自分が演武線から外れるということは現実にあり得ることで、むしろ、相手をコントロールする為に積極的に自分を演武線から外した方が良い状態というのも出てくるはずです。

しかし、相手をコントロールする為には、自分が演武線から外れた時、どこでもいい適当なところに相手を置いてしまっては意味が無いわけです。そこで、相手を上手くコントロールする為にも、自分が演武線から外れた時は、相手を演武線に置くようにしなければ、相手をコントロールしたことにならない、という結論に到達するのでしょう。

それを上手く纏め上げ、一つの形にまで昇華させたのが五十四歩ではないかと考えられます。

五十四歩の演武線について考察してみました。

以上、文責は筆者にありますが、間違い勘違いがあっても一切責任を取りません。知らんけど。

 

無想会本部指導員のブライアン先生(四段)の広島でのセミナーが決定しました。

詳細は以下。

日時:令和元年9月14日(土)

        午後3時〜午後6時30分

        希望者には延長で午後7時まで指導を受けられます。

場所:広島県東広島市西条町寺家2918

         新宮神社 神楽殿

講習費:5000円(会員、非会員一律)

参加希望の方は

i.taka_s50@k8.dion.ne.jp(礒部)

まで連絡して下さい。

無想会本部指導員の技が間近で見れるというのは貴重な体験です。普段は東京でしか行われていないブライアン先生セミナーです。東京まで遠くて行けないという方は、是非この機会に参加して下さい。

形の初動

形の動きのほとんどは抜刀の身体操作を使うと割と上手くいくように感じます。

特に初動に関しては全て抜刀を行うようにすれば理屈にあった動きが出来るように思えます。

ただ、私は抜刀に関しては全くの素人です。

抜刀の動画くらいは参考にしますが、無想会の身体操作や新垣師範の抜刀の動作から自分流に理論化して抜刀の稽古をするだけなので、あしからず。

 

武術に於ける明治以前と以後

「身体教育の思想」という本を読みました。

そこで興味のある記述があったので、私なりの解釈も入れつつ紹介。

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明治以前は現在でいう武道も美術も音楽も藝術というカテゴリーであったが、近代化によって、美術と武芸が分けられ、藝術の分野から武道がはじかれた。

藝術と武道は全く相反するもののように捉えられがちだが、実はそれは西洋化された近代日本の中だけでの考えに過ぎなかった。

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そしてそれを決定的にしたのが、嘉納治五郎であり、伝統を身に纏わせながら、日本的な思想から(意識的か無意識的か)乖離させてしまっていた。

(文章は私が感想的にまとめたものなので、著者の文章ではありません)

江戸時代以前と以降とで、近代化の波の中で空手の身体操作が機械力学的なものとして改変されてしまったというのが、無想会の主張ではあるが、思考的、思想的なものでも同じような状況にあったと考えられます。

もう少し武術に対して先入観を取り払う必要がありそうです。