最近(少し期間は開きましたが)、技に於けるエネルギー伝達の事と、そこから派生して基本についての再認識について書きました。
なぜ、今更、エネルギー伝達なのかというと、最近の稽古で背中からエネルギーが派生し、伝達され、手先、足先に放出される感覚を鮮明にに感じる事が出来たからです。
知識から体感に変化したのです。
この感覚が基本の再確認に繋がったのです。
しかし、これにはまだ課題があります。
師範の動きを三度確認すると、技が完全な手打ちとして“ボッ!”と出ているのです(「手打ち」に関しては説明が大変なので、無想会会員以外で興味在る人は新垣師範の著書で確認して下さい)。
師範の行うナイハンチなどの形で時折見せる何気なく出している突きがあまりにも見事なのです。
体のいずれも動くことなく腕だけが「ボッ!」と出てくるのです。師範の著書の表現を借りると「まさに空間を切り裂くように」突きが出ています。
これは恐らく身体内で作られたエネルギーを無駄なく腕に伝える事が出来ているためだと思われます。
翻って私がエネルギーを身体内で作ろうとすると、大きなエネルギーを作ろうとしすぎて動きが身体外に出てしまうのです。
そう鑑みると、もう一度基本に立ち返らざるを得ないなと結論づけられるのです。
今の私の課題は身体を全て締める、腕や手の内のみならず広背筋や脚に至るまで全て締めれるようにならなければなりません。
これは三戦の形のように身体を固めるのではなく、雑巾絞りのように絞ることです。
身体の締め・絞りが有るからナイハンチはあの形(カタチ)なのです。用意で立った瞬間、指先まで伸びるのはエネルギーが指先まで伝わっている証拠です!
ひいては全ての形も一緒です。
だから動かない身体からエネルギーを動くことなく派生させることが出来、「闇夜に霜を聞く」ように技を出す事が出来るのでしょう。動かないからこそ、この様な表現が当てはまるのだと思います。
ちなみに「闇夜に霜を聞く」というのは鉄砲の引き金を引く時に使われる表現です(詳しくは「沖縄武道空手の極意3」参照)。これは鉄砲の弾に対する言葉ではなく、つまり突き蹴りそのものに対する表現ではなく、技の引き金、即ちエネルギーの出所に対応する言葉です。
技の引き金はどこか?
身体内です。
以上、文責は筆者にありますが、間違い勘違いがあっても一切責任を取りません。