沖縄空手無想会(東広島)

新垣清最高師範によって再興された沖縄武道空手を広島で追及していく様子です。

正中線について

6/9に沖縄同好会のT氏がわざわざ東広島まで来て下さり、合同練習を行いました。

Tさんは無想会の黒帯だけあって、非常に的確なアドバイスをしてくれ、大変貴重な時間となりました。

その中で、パッド打ちの時、どうも私の突きが突き側と逆の身体が動いてしまっているようで、そこを指摘されたのでした。これは気がはやって「打とう打とう」という気持ちが身体に表れ、動いてしまっていたようです。自分でも気付いていなかったことでした。

 

さて、話は飛んで、現在、私が主催している無想会とは別の個人道場では、中高生の部で土台を作る為、基本的な動きを集中的に指導しています。その中で、正中線について説明しようとするのですが、言語化させるとなるとなかなか難しい。

そこで考えたのが「柏手(拍手)」を具体例に使っての説明です。

正中線とは右でも左でもない境目となる線であります(沖縄武道空手の極意2参照)。

両手で柏手を打ちこの時現れる境目が正中線と言えますし、正中線を使ってエネルギーを発揮する結果が音となって現れると言えるでしょう。

では、右が無く、左のみの時正中線は存在するのか?またはその逆の左が無く右のみでは正中線はどうなるのか?

これは柏手を打ってみればすぐ分かります(いや、考えただけで分かるかもしれませんが、話の都合上)。

当たり前のことながら右左の境目もなければ音も出ません。

ということはどういうことか?

柏手で音を出すには右手と左手の動きのベクトルを真逆にして互いにぶつけ合わせなければなりません。または片方の手を完全に固定して反対の手をそれにぶつけるかのどちらかしかないはずです。

では、右手と左手の動きのベクトルを同方向にして柏手を打とうとするとどうなるでしょうか?

「お前はアホか?」と言われそうですが結果は音も鳴らなければ当りもしません。

またはスピードが互いに違えば、もしくは当たるかもしれませんが、音は非常に小さいものしか出ません。

賢明な読者はもうお気づきであろう、「ああっ、これは身体を回してしまう突きの状態と一緒ではないか!」(沖縄武道空手の極意参照)

つまり正中線が消失してしまっているのです。

 

ここでTさんとの合同練習で指摘された突き手と逆方向の身体が動いてしまうということを思い出しました。

私は右手でめいっぱい強く柏手を打とうとするあまり、左手まで動かしてしまって、結果、音が出ないようにしてしまっていたのか!と気付かされました。

つまり右の突きを出す時は、左の身体を完全に止めるか、または右の身体と逆方向に(身体内で)動かした方が大きな音=エネルギーが放出される。そうしないと身体からは正中線が消失されてしまうのだと。

なにせ正中線というのは本来存在しないものですから。

右でもない、左でもない線ですから、右と左が同時に存在しなければ正中線はその存在を失ってしまうのです。

このように自分の身体を柏手に当てはめて考えると、突きの稽古の意識が作りやすくなってきました。

正中線の概念と方法論が自分なりではありますが、具体化できたのではないかなと思っております。

私の未熟な技を厳しく指摘して下さったTさんの指導の御陰でより深く思考できたのだと感謝しております。ありがとうございました。

以上、文責は筆者にありますが、間違い勘違いがあっても一切責任を取りません。知らんけど。