沖縄空手無想会(東広島)

新垣清最高師範によって再興された沖縄武道空手を広島で追及していく様子です。

教え方が分からない

先日、小学4年生の男の子がお父さんとお姉ちゃんと連れだってうちの「成趣館」道場に見学に来てくれました。

しかし、メインで来たはずの小4の男の子は引っ込み思案もあってかやりたがらず、意外にもお父さんとお姉ちゃんの2人が入門することになるという結果に。

お父さんは、空手に興味はあったらしく前からやってみたいという思いはあったものの年齢的なものから二の足を踏んでいたそうです。中学生のお姉ちゃんは塾の帰りのついでに来ただけだったのですが、何故か興味が出てきたそうです。学校では美術部で運動とは無縁な子らしいのですが、世の中何がきっかけになるかわからないものですな。

こちらとしては一般部が賑やかになる事はとてもありがたいことです。

さはさりながら、最近、非常に悩んでいることがありまして、実は私、空手の教え方が分からなくなってきたのです。

武術的空手の追求が進むにつれ、何をどのように、どの順番で教えるべきか分からなくなってきました。

私の道場に来ている方はもう長いのである程度、私がやりたい稽古に付き合わせるようなカタチになっているのですが、その時の指導の仕方が自分でもひどいなと思っているのです。例えば、「きちんと立つことが出来ればその瞬間にもう落下しているので止まっているけど動いてます。」とか「突きは落とせば上がってきますので、さらに重力落下させて下さい。」「骨盤を片方だけ開いて、片方の足を大腰筋で引き上げて、でもこの時の脚は引き上げてって言いましたけどけど実は重力落下しています、つまり落ちて上げてます。」などと(書いてみてもやはり意味が分からん!)言ってしまっています。

しかし、これが実際私がしている身体操作なのですから、これ以外に言い様がないのです。

もちろん筋肉の作用とか、物理的思考とか前提としてある程度理論的に説明してはいます。でも最終的にまとめると上記のような説明になってしまうのです。

そもそも前提なる身体操作を説明しても相手にその認識がなければ、説明しようがないのです。

これは上段に立った言い方であり、お前ごときが何を言う!とお叱りの声が聞こえてきそうですが、では相手に合わせて理解できそうなことだけを言っておけばいいのか?とも思うのです。

しかし、私は自分が分からないなりに武術的な身体操作を追求したきたという自負があり、また、理解できることだけを教えて果たしてそこに伸びるものはあるのだろうか?という疑問が残ります。

まったくの初心者であれば分かることだけ教える事でもいいと思うのですが、1年、2年経てばやはりそれなりに理解しがたいことも伝えていきたいという思いもあります。

それがいったいどこまで、どのように伝えるか?、果たした自分のやり方で皆が上達するのか?年数が経つにつれ分からなくなってきたという今日この頃なのです。

なるべく平易な言葉、理論的物理的に理解できる言葉、分かり易い例え、など使っているつもりではあるのですが、ついつい言い過ぎてしまうきらいがあるのです。

まあ、年数が経っているだけ多少の勘違いがあることも否めないので、もう少し自分なりに研究していこうとは思います。

取り敢えず新しく入ったからには、まずうちに通ってくることが楽しいと思って貰えるように頑張ろうと思います。f:id:i_taka_s50_4_7syunpou108:20201005004512j:image