ナイハンチ初段、第一挙動
通常ナイハンチ初段は左足を右側にスライドさせ、交差立ちになり、次に右足を抜きナイハンチ立ちになった状態から開手による受けを行うとされています。
無想会では、開手による受けは喉への攻撃と解釈の違いこそありましたが、数年前までは動きの順番は他流派と同じでした。そして、この動きを猛スピードで行うことを要求される稽古も行っていました。
しかし、数年前(いつだったか調べればわかるのですが、めんどくさいので省略)この初動が劇的に変わったのです。
それは、交差立ちになると同時に開手による喉への攻撃、と変更になったのでした。
なんだ、手技の順序が一つずれただけじゃないか!と思われるかもしれません。
しかし、これは劇的な変化だと私は認識しています。
この変更によって「ナイハンチ初段は明らかに実戦で使える!」と強烈に感動したものです。
通常のナイハンチは使えません、いや、使えるかもしれませんが、私のような武才の無い人間にはほぼ無理でした。
しかし、この変更によって武才があろうが、なかろうが、正しい身体操作さえ出来れば誰でも使えるのです。
現に私は組手で使っています(勿論応用として多少形を変えてます)。あまりに簡単に使えすぎるので、相手によっては封印することもあるくらいです。
形に分解は必要ありません。何を行っているか理解さえすればそのまま使うことができます。
ただ、何をやってもいるか理解していても違和感があることもあります。その時はだいたい形の方がおかしいと疑うことも必要だと思います。
私は、通常のやり方でのナイハンチ初段の第一挙動には強烈な違和感を持ち、上手く使うことができませんでした。
ただの私の才能の無さ故のものかもしれませんが、第一挙動変更によってその動きは格段にスムーズになったのは紛れもない事実なのです。
このことにより、私は、実戦に使えない形は何か間違っているという認識となったのです。
呼吸では遅すぎる
私は今、炎の呼吸をマスターするため日夜全集中の呼吸をおこなっています。
あっ、今我が家で「鬼滅の刃」のブームが沸き起こって(TVでやってるからね)、全23巻の単行本まで買ってしまいました。
ということでちょっと呼吸について書いてみたいと思います。
以前、私が空手をしているという話から、ある人に「やっぱり空手でも呼吸が大事なんでしょう?」と問われました。
私は「いや、うちでは呼吸を吸おうが吐こうが、技が出なければ意味が無いので呼吸は関係ないといわれています。」と答えたのですが、その人は予想した答えと違ったのか、少し腑に落ちない顔をしていました。恐らく「そうです!武道に於いて呼吸は凄く重要です!」という答えを期待していたのでしょう。
後で、私としても、ちゃんと納得してもらえるもう少し良い答え方はなかったかなと考えたのですが、結局この答えに行き着いたのです。
「呼吸を使った技では遅すぎる!」
空手は神速を尊ぶ、と言われています。
呼吸に合わせた技、または技に合わせた呼吸では遅すぎて話になりません。
残念なことですが「全集中の呼吸」では敵の攻撃に間に合わないのです。
引っ張って弾(はじ)く
突き・蹴りの打ち方が徐々に変わっています。
突きは背中を張るだけ張って、後は弾(はじ)くだけ。
ビンビンに張った弓の弦を軽く指に引っかけてピンッと弾くイメージです。
それだけで突きは目標物に到達し、且つ、戻ってきます(所謂引き手)。
蹴りは大腰筋と腸骨筋を張って、同じく弓の弦のように弾けば終了です。
そうなると、腕で突きを打つ、脚で蹴りを放つ、という動作は遅すぎて使い物になりません。
前述の突き蹴りはピンッで終了です。いかに速さ・早さに違いがあるか一目瞭然です。
それでも、まだまだ無駄な動作がありそうです。更に削ぎ落とすことが出来れば、もっと速くなるのでは無いかと妄想しております。
教え方が分からない
先日、小学4年生の男の子がお父さんとお姉ちゃんと連れだってうちの「成趣館」道場に見学に来てくれました。
しかし、メインで来たはずの小4の男の子は引っ込み思案もあってかやりたがらず、意外にもお父さんとお姉ちゃんの2人が入門することになるという結果に。
お父さんは、空手に興味はあったらしく前からやってみたいという思いはあったものの年齢的なものから二の足を踏んでいたそうです。中学生のお姉ちゃんは塾の帰りのついでに来ただけだったのですが、何故か興味が出てきたそうです。学校では美術部で運動とは無縁な子らしいのですが、世の中何がきっかけになるかわからないものですな。
こちらとしては一般部が賑やかになる事はとてもありがたいことです。
さはさりながら、最近、非常に悩んでいることがありまして、実は私、空手の教え方が分からなくなってきたのです。
武術的空手の追求が進むにつれ、何をどのように、どの順番で教えるべきか分からなくなってきました。
私の道場に来ている方はもう長いのである程度、私がやりたい稽古に付き合わせるようなカタチになっているのですが、その時の指導の仕方が自分でもひどいなと思っているのです。例えば、「きちんと立つことが出来ればその瞬間にもう落下しているので止まっているけど動いてます。」とか「突きは落とせば上がってきますので、さらに重力落下させて下さい。」「骨盤を片方だけ開いて、片方の足を大腰筋で引き上げて、でもこの時の脚は引き上げてって言いましたけどけど実は重力落下しています、つまり落ちて上げてます。」などと(書いてみてもやはり意味が分からん!)言ってしまっています。
しかし、これが実際私がしている身体操作なのですから、これ以外に言い様がないのです。
もちろん筋肉の作用とか、物理的思考とか前提としてある程度理論的に説明してはいます。でも最終的にまとめると上記のような説明になってしまうのです。
そもそも前提なる身体操作を説明しても相手にその認識がなければ、説明しようがないのです。
これは上段に立った言い方であり、お前ごときが何を言う!とお叱りの声が聞こえてきそうですが、では相手に合わせて理解できそうなことだけを言っておけばいいのか?とも思うのです。
しかし、私は自分が分からないなりに武術的な身体操作を追求したきたという自負があり、また、理解できることだけを教えて果たしてそこに伸びるものはあるのだろうか?という疑問が残ります。
まったくの初心者であれば分かることだけ教える事でもいいと思うのですが、1年、2年経てばやはりそれなりに理解しがたいことも伝えていきたいという思いもあります。
それがいったいどこまで、どのように伝えるか?、果たした自分のやり方で皆が上達するのか?年数が経つにつれ分からなくなってきたという今日この頃なのです。
なるべく平易な言葉、理論的物理的に理解できる言葉、分かり易い例え、など使っているつもりではあるのですが、ついつい言い過ぎてしまうきらいがあるのです。
まあ、年数が経っているだけ多少の勘違いがあることも否めないので、もう少し自分なりに研究していこうとは思います。
取り敢えず新しく入ったからには、まずうちに通ってくることが楽しいと思って貰えるように頑張ろうと思います。