沖縄空手無想会(東広島)

新垣清最高師範によって再興された沖縄武道空手を広島で追及していく様子です。

落ちるということ

ナイハンチ立ちとは、立ったまま落ちる状態にした立ち方です。

立った瞬間に落ちていなければ、立ち方としては不完全なものとなります。

だからこそ「立つ即技」となります。

この落ちている状態のまま立つことが出来て初めて「形・型」が成立します。

これが理解できれば、空手にとって“捻る”“回す”“地面を蹴る”という行為が如何に致命的な行為かが分かります。これらは全て“落ちる”ことを阻害する行為でしか無いのです。

すると“形”の本質が分かり、正中線、演武線が何故必要なのかが分かり、延いては相手との間合いとは何かが理解できます。

即ち、「形・型」とは、立ったまま動けばいい訳で、立った時既に動いた状態を作る事に他ならないからです。

昨年の5月に新垣師範の転身による“浮き”を学んだのですが、立つことが落ちることと理解できていれば“浮き”の理解も進みやすい。詰まるところ、同じ事を形を変えて行っているだけなのです。極論を言えば立った状態が既に“浮き”であると云えるでしょう。

厳しい言い方ですが、これを理解せずに行う「形・型」はただの体操に過ぎず、殺陣、舞踊と何ら変わらないと云えましょう。

技は全て落ちた状態で出す、ということが理解できれば、自ずと突き、蹴り、投げ、動きの原理原則が見えてきます。

以上、無想会一門下生の理解なので知らんけど。

 

形(型)が一番良い

とにかく落とす、落ちれば即技となる。そのためには如何に空間を制するか?空間を制する為には場を作る必要がある。

その為の訓練に最も適しているのが形(型)。形(型)は良い。如何に場を作るか?まだまだ道は遠いが、光は見えた気がする。気がしただけにならないように、まだ、やることは沢山ある。

繋がった、繋がった!

無想会では様々なことが教えられます。

姿勢から始まり、ナイハンチ立ち、正中線、天地線、大腰筋を使ったナイハンチの波返し、動歩行、広背筋での腕の操作、肩の滑車、腰の割り、膝の抜き、手の内、チンクチ、ガマク、アティファ、などなど。

それら何年もかけて個別にはそれぞれ出来るようにはなってきました(多分)。

しかし、なかなか最終目的まで繋がってくれない。つまり、実際の技、業になかなか直結しない。どお〜〜しても、あと一歩、あと一つ何かが足りない。

ところが、ついに全てが繋がったのです。

理論的にも、感覚的にも全て繋がったのです。

今までは、何かがどこかで途切れており、最終的に出される技がどこか片手落ちだったのです。

しかし、ここにきて、全てが繋がったのです。

落ちれば即、技となる。それは突きも蹴りも投げも全て同じです。相手にダメージを与える為には落ちればいいだけ。全ては重力落下。

そうなると速い突き、遅い突き、全く関係なくなる。落ちるのに合わせればいいだけ。結果的に速くなることもあるし、遅くても間に合うこともある。

前回5月の沖縄講習会で新垣師範に「浮き」を教えてもらったが、これが大きなヒントになった。

何はともあれ、全てが繋がれば、あとは落ちればいいだけ。何も必要ない。

間違えてなければいいが、多分大丈夫だろう。

さて、これからもう少しつめて更に完成度を高めていこう。

五十四歩の投げについて考察

2月18日に無想会沖縄同好会副代表T氏が私の道場に稽古に来てくれた。

色々な稽古をしたが、五十四歩の稽古をしている時、Tさんが「五十四歩の投げはどうやって、相手を腰に乗せてなげるのか?」との質問があがった。

私は「腰には乗せないですよ、相手を崩して崩れたところに内股をかけるだけですよ、突き詰めればナイハンチの膝蹴りと同じはずです。」と回答し実演したところ、あることに気付きました。

現在の近代空手で行われている五十四歩は大きく分けて2つの系統があります。

喜屋武系とそれ以外です。

これらは何が違うのかというと、喜屋武系五十四歩は脚を高く上げる動作があるのに対して、それ以外は脚を高く上げることはありません。それ故に喜屋武系の型は華手(ハナディー)と呼ばれたこともあるそうです。(無想会ではこの脚を上げる動作は内股での投げと解釈しています。以下の考察は五十四歩に投げがあるとの前提での考察です)

この脚を上げる、上げないの違いは見た目には大きな違いのように映りますが、その実はたいした違いは無いのではないか?つまり、脚を上げるという行為は枝葉の現象に過ぎないということです。

実際に大事なのは相手の崩しであり、五十四歩の投げの時は相手の首を折りながら崩し、後方から前方に相手を投げることである、と。この時タイミング良く内股が決まるようであれば、内股で脚が上がったのが喜屋武系の五十四歩であり、その必要無く相手が後方から前方に崩すことが出来、相手の移動に合わせてそのまま脚が一歩出たのが喜屋武系以外の五十四歩なのではないかということです。

こうして一つ一つ技を突き詰めていけばどの流派の型も大した違いは無いのかもしれません。

知らんけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

ナイハンチ初段、第一挙動

通常ナイハンチ初段は左足を右側にスライドさせ、交差立ちになり、次に右足を抜きナイハンチ立ちになった状態から開手による受けを行うとされています。

無想会では、開手による受けは喉への攻撃と解釈の違いこそありましたが、数年前までは動きの順番は他流派と同じでした。そして、この動きを猛スピードで行うことを要求される稽古も行っていました。

しかし、数年前(いつだったか調べればわかるのですが、めんどくさいので省略)この初動が劇的に変わったのです。

それは、交差立ちになると同時に開手による喉への攻撃、と変更になったのでした。

なんだ、手技の順序が一つずれただけじゃないか!と思われるかもしれません。

しかし、これは劇的な変化だと私は認識しています。

この変更によって「ナイハンチ初段は明らかに実戦で使える!」と強烈に感動したものです。

通常のナイハンチは使えません、いや、使えるかもしれませんが、私のような武才の無い人間にはほぼ無理でした。

しかし、この変更によって武才があろうが、なかろうが、正しい身体操作さえ出来れば誰でも使えるのです。

現に私は組手で使っています(勿論応用として多少形を変えてます)。あまりに簡単に使えすぎるので、相手によっては封印することもあるくらいです。

形に分解は必要ありません。何を行っているか理解さえすればそのまま使うことができます。

ただ、何をやってもいるか理解していても違和感があることもあります。その時はだいたい形の方がおかしいと疑うことも必要だと思います。

私は、通常のやり方でのナイハンチ初段の第一挙動には強烈な違和感を持ち、上手く使うことができませんでした。

ただの私の才能の無さ故のものかもしれませんが、第一挙動変更によってその動きは格段にスムーズになったのは紛れもない事実なのです。

このことにより、私は、実戦に使えない形は何か間違っているという認識となったのです。

呼吸では遅すぎる

私は今、炎の呼吸をマスターするため日夜全集中の呼吸をおこなっています。

あっ、今我が家で「鬼滅の刃」のブームが沸き起こって(TVでやってるからね)、全23巻の単行本まで買ってしまいました。

ということでちょっと呼吸について書いてみたいと思います。

以前、私が空手をしているという話から、ある人に「やっぱり空手でも呼吸が大事なんでしょう?」と問われました。

私は「いや、うちでは呼吸を吸おうが吐こうが、技が出なければ意味が無いので呼吸は関係ないといわれています。」と答えたのですが、その人は予想した答えと違ったのか、少し腑に落ちない顔をしていました。恐らく「そうです!武道に於いて呼吸は凄く重要です!」という答えを期待していたのでしょう。

後で、私としても、ちゃんと納得してもらえるもう少し良い答え方はなかったかなと考えたのですが、結局この答えに行き着いたのです。

「呼吸を使った技では遅すぎる!」

空手は神速を尊ぶ、と言われています。

呼吸に合わせた技、または技に合わせた呼吸では遅すぎて話になりません。

残念なことですが「全集中の呼吸」では敵の攻撃に間に合わないのです。

棒術

最近は棒術の稽古にはまっている。単純な素振りの後、「徳嶺の棍」と「白太郎の棍」を何回も繰り返しやる。演武線の重力場を作りやすい気がする。

生徒に教える為、棒術の稽古を再開したが今になって面白みが出てきた。

新垣師範が棒術の実戦性への疑問が解消されないという理由で現在棒術の講習はストップされている中、何故か流れに反して面白いと感じるのは、約2年の停滞があるからだろうか?

とにかくどんな状況でも何かを掴みたいという想いに変わりはない。