沖縄空手無想会(東広島)

新垣清最高師範によって再興された沖縄武道空手を広島で追及していく様子です。

8/21(火)特別なことは何もない

台風が近付いております。進路にお住みの方はくれぐれもお気を付けください。

さて、今回も私の武才の無さを淡々と記していきます。

前回ブログに、私の間違えた事を記したのですが、それを読んだIケダさんからの質問があったので、詳しく説明。

その説明をしていると、「あれっ?」

と思わされることが出て来ました。

骨盤を前傾させて、しっかり開く。そこに大腰筋を激突させる。

これは、ナイファンチ立ちになって、脚を上げているだけじゃないか!

何も特別なことなんか必要ないじゃないか!トルクだのチンクチだのあんまり関係ないんじゃないか?

結局、勢いを出そう出そうとすると、逆に遅くなってしまう。技には早さ速さを出す為の特別な秘密があるに違いないとの思い込みが、全てを邪魔していたのではないか。

何も特別な事はない!ちゃんと二足歩行で立って脚を上げさえすれば、それで技、業が生まれる。

こんな単純なことに気付くのに7年もかかったのかと思うとホトホト自分の才能の無さに呆れてしまいます。

ブルース・リーは一回見た技は、すぐにモノにしたと言います。

世界的武術家と比べるのもおこがましいですが、ブルース・リーの足元にも及ばんなあ〜。

以上、文責は筆者にありますが、間違い勘違いがあっても一切責任を取りません。

知らんけど。

 

 

中四国稽古会のお知らせ

中四国稽古会の日程が決まりましたのでお知らせ致します。

9/16(日)PM6:00〜

場所:東広島市西条町寺家2918

新宮神社 神楽殿

 

空手経験の有無、流派は問いませんので、無想会空手に興味がある人は

i_taka_s50_4_7syunpou@yahoo.co.jp

まで連絡をして下さい。

 

身体に起きた変化(失敗編)

8/17の本日は気温が下がり、過ごしやすい日でしたね。私も一日中、草刈りをしていたのですが、全くバテることがなく、あまりの楽さにビックリしてしまいました。

さて、今回は沖縄特別セミナーの感想というよりも、私自身のことを記したいと思います。しかも失敗編です。

 

今回、私が特に注意を受けたのが蹴りでした。

師範から「体が動いている!」と厳しく叱責されてしまいました。

その後、本部の黒帯であるジョン氏の指導をしっかり受けて修正してもらいました。それは、細かく自分の意識から抜けてしまっていたことでした。そのため、セミナーが終わった後、脚の裏側を中心にバキバキに疲労してしまいました。

実は、今回私は蹴りにある程度の自信を持って参加したのですが、いつの間にか身体に変な動きが加わってしまっていたことに、後になって気付いたのです。

それは、以前ブログにも記したのですが、落ちてくる身体に腸腰筋を激突させる事で、蹴りは早さ、速さが出るということを体感したことで間違いを起こしてしまったのです。

この身体を落とすという意識が加わったため、外から見て分かるほどに体を動かし、落とそうとしてしまっていたのでした!!

ジョン氏に修正されたのは骨盤を開いて腸腰筋で脚を上げる、ということだけです。細かい修正ではありましたが、ごく基本的なことではあります。

その時、気付いたのです。「あっー、しまった。骨盤を前傾させて開くだけで、すでに身体は落下しているんだった!」

そうです。武術は、敵に自分の動きを見せてはいけないので、見えないところで身体操作することが重要であるのが大前提です。にもかかわらず、その事を忘れて、身体を落とすという理論に引きずられて、敵に見えるように体を動かしていたのでした。

 

実は、私の道場に通われているIケダさんですが、一度凄い蹴りを放った時があったのです。本人曰く、「蹴り足が自然と上がって、自分の脚が耐えられない程のスピードになった」程です。

しかし、その後、その蹴りが出来なくなってしまい、何回同じようにしようとしても、どこか固さが出てしまう。

私が今回、指摘されたのは、Iケダさんの蹴りと同じ状態になっていたのかもしれません。

出来た!という意識が逆に自分の動きを邪魔してしまい、本来の正しい動きから遠ざかってしまう。

本当に自分の武才の無さに呆れてしまいます。

Iケダさん、恐らく我々は同じ間違いをしているのではないかと思います。一緒にもう一度修行しなおしましょう!!

しかし、そんな中でも、師範や本部の黒帯の先輩達に見てもらえたというのは何よりの収穫でした。今回は、前回のセミナーから約2ヶ月半しか経っていません。自分で稽古した成果を指導してもらうには良い間隔です。半年間間違えたまま稽古するというのは時間の無駄以外のなにものでもありません。

師範には、(資金的、精神的、体力的な負担はあるでしょうが)このくらいのペースで日本に来ていただきたいものです。

私、酒の席では、師範に注意を受けて落ち込んでいると愚痴を申し上げておりますが、その実、帰宅すると師範の言葉を金科玉条の如く、忠実に実行するよう努力しているのであります、多分。

以上、文責は筆者にありますが、間違い勘違いがあっても一切責任を取りません。

知らんけど。

 

無想会、沖縄空手国際大会出場の意義

前回も記した沖縄ナイファンチ極意セミナーで、私は、沖縄同好会のT氏とH氏に、米本部から来日された方々への記念品をプレゼントしたいから、扇子に書をしたためて欲しいと命令され言われ、25本ほど白地の扇子を買って、それに「無想会」と草書で書き、その横に小さく「第一回沖縄空手国際大会 平成三十年八月吉日」と書いたものを皆さんにお渡ししました。(しかし、それを今回参加した日本人にも記念品として渡すとは思ってもおらず、さすがにそれは焦りました。)

このおかげで、私は皆さんに扇子に書を書く人と認識して頂く事ができたようで、いち早く顔を覚えてもらいました。

また、今回は来日を果たせなかった本部のスティーブン氏から、未だ会った事もないのですが、そのスティーブン氏が描いて冊子にした漫画をプレゼントされたのです。これは、以前私が師範の似顔絵をデザインした事で、スティーブン氏が、私の事を漫画を描く日本人として認識した為です。

 

何故この様な事を書くかというと、これは私の事を認識する時に、分かり易い特徴付けに使われる、つまり個性として表されるという事を言いたいのです。

これは、いわば、希少性とも言えるでしょう。

ただ、書が上手いかと言われると、そんな事もなく、戦前の日本人なら下の中くらいの字しか書けませんし、絵も、絵を勉強した事のある人から言わせれば、下手くその部類に入るでしょう。

ですから、ここでの個性は無想会の中での希少性であって、例えば別の場に行けば空手をする人の個性が付け加わったりします。しかし、空手集団の中では空手をやっている事は個性にはなりえませんので、無想会でそれは私の個性になり得ません。他人と違う、または突出したものを持つ事によって始めて個性として表れるわけです。

 

今回、新垣師範は、沖縄空手国際大会に参加され、「今まで無想会空手を全面に打ち出す事に躊躇いもあったが、もはや心は決まった。どんどん発信してゆく」(言葉は違うかもしれませんが、こんな趣旨だったと記憶しております)と発言されました。

 

これは、沖縄空手を名乗る団体・個人が一堂に会し、各々の技を、業を、披露してみたところ、無想会の単独性が際立った為ではないでしょうか。

新垣師範はこのことを予想はしていたでしょう。しかし、新垣師範の同門の先生の中には、まだ、武道としての空手を残した方もアメリカにいらっしゃいます。

その期待もあったと思われます。

ところが蓋を開けてみたところ、その僅かに残った思いは打ち砕かれ、残ったのは孤独のみであった。と、同時にそれはかけがえのない希少性を超えてOnly one、単独であった。しかもそれは、私(筆者)の書や絵のレベルではなく、遙か高みに登った独立独歩の単独性であった。それ故、沖縄空手を名乗る団体の集団の中に入ると、霞むようなこともなく、その中に入っても尚、いや、寧ろその中に入ったからこそ単独性が際立ったのではないかと思います。

Only oneでありながら且つNumber oneである。これは強烈な個性です。

まあ、新垣師範がこの様な認識をされたかどうかは、分かりませんし、そんな事を私ごときが想像するのもおこがましいことですが。

ただ、沖縄空手の国際大会で無想会が際立ったのは確実だと思います。

寧ろ、今更ながら、もっともっと際立たせるため、大会用の形(極めを作ったり、見せ場を演出したり)などせず、無想会のいつもの空手をしても良かったのではないかと、終わった後の結果論だけで、無責任ながら思っています。

 

しかし、既に我々日本会員は、その単独性、希少性を理解し、そして魅了されています。

でなければ、年二回しか受けられない指導の上、何年かかって黒帯が取れるかも分からない(もしかして取れないんじゃない?)ような空手に6年も7年もかけて学ぼうと思わないでしょう。(学ぶ事さえできれば、黒帯なんて取れなくても構わん、と言う人も結構います)

そして、無想会の空手を学んだ会員達は、無想会の個性が、個々人己の個性に変換されていると体感していると思います。

それは、無想会の空手が「禅」であるから。「禅」は自分で学び取り、自分で開眼しなければ悟りに至らない。どんなに理論理屈を学び、虎の巻を手に入れ、模範解答を得ようとも、自分で体感し、理解しなければ、自分のものになり得ない。

自分のものでないものは、ただの台本の棒読みに過ぎない。

自分で悟った時、それは自分の中に消化され、己の個性へと昇華される。

そして、その内「気」で相手を吹っ飛ばせるようになるのです!!(なりません)

 

ああっ、書いてるとだんだんよく分からない方向に話を展開してしまいそうだ・・・。

 

閑話休題

己の個性は、己一人の時は認識する事は出来ませんが、他と交わった時、始めてその個性を認識する事が出来ます。

つまり個性とは己単独のものでありながら、他人が存在しない限り現れる事がない、逆説的な非常にあやふやなものでしかないのです。それ故、個性とは、個性と認識出来ない、または正確に評価されない状態が続くと、いつの間にか無くなったり捨ててしまう恐れすらあります。

日本会員の皆さんは様々な空手、武道を体験して無想会に行き着いているので、無想会の個性をはっきりと認識しています。

対して、無想会米国本部の生徒達はほぼ無想会空手しか知らない純粋培養の生徒ばかりです。

上記のようなことを考えていたら、新垣師範による今回の国際大会参加に狙いがあるとすれば、外に向けて無想会空手をアピールする狙いより、純粋培養の生徒達に無想会空手の個性・単独性を認識させ、且つ組織のアイデンティティーを植え付け、組織内部の結束に重きを置く、したたかな戦略があったのかもしれないと勘ぐっております。

 

以上、文責は筆者にありますが、間違い勘違いがあっても一切責任を取りません。

知らんけど。

8/6(月)無想会沖縄講習会

長らくバタバタして更新しておりませんでした。

せっかく沖縄講習会があったので、遅ればせながら、報告します。

今回は感想抜きで、只々、あったことを時系列で書き込んでゆきます。

感想はまた後日、別に記してゆきたいと思います。

さて、8/5(日)私は、福岡から那覇行きの最終便の飛行機で沖縄に向かいました。今回は沖縄空手国際大会に参加した無想会の皆さんと合流し、稽古会に参加するのが目的です。

那覇空港に着いてすぐ、沖縄のT氏より連絡があり、すぐに無想会の皆さんと、国際大会の打ち上げの2次会に参加。

ここを詳しく書くと長くなるので、省略。

次の日、午後1時より無想会国際会議がスタート。

f:id:i_taka_s50_4_7syunpou108:20180813160811j:image

これは極秘会議、、、ではなく、無想会の今後についてと日米会員の交流が主な目的です。

 

その後、会員稽古。

f:id:i_taka_s50_4_7syunpou108:20180813160719j:image

f:id:i_taka_s50_4_7syunpou108:20180815220019j:image

途中、米会員のブライアン先輩のお母様がおむすびなどの軽食を差し入れしていただきました。

そして、6:30よりナイファンチセミナーに入ります。

参加者は、無想会会員と会員外から日本人含め様々な国から集っていました。

しかも、その中には形の大会で数々の入賞歴を誇る猛者もいたとか。(私は詳しくは知らないのですが、他の会員の方がそのようにおっしゃっていました)

f:id:i_taka_s50_4_7syunpou108:20180814124943j:image

f:id:i_taka_s50_4_7syunpou108:20180814125043j:image

その後は、連夜の懇親会。会員、非会員関係なく親睦を深め、夜が更けて行くのでした。

次の日、私の沖縄滞在最終日、無想会有志が集まって、渡嘉敷島でのハードトレーニングに向かっていました。

f:id:i_taka_s50_4_7syunpou108:20180814130628j:image

そこで、我々は海水浴をすることもなく、激しいトレーニングに明け暮れたのでした。

f:id:i_taka_s50_4_7syunpou108:20180814130754j:image

見よ!この激しい稽古を!今回の沖縄滞在の中で一番ハードだったかもしれません!

その次は懇親会!

f:id:i_taka_s50_4_7syunpou108:20180814130922j:image

それはさて置き、美しい風景でした。

そして、時間は過ぎゆき、私は一人那覇空港から最終便で福岡へと帰っていきました。

 

「受け」は使えない!との声

この8/1〜8/5にかけて「第一回沖縄空手国際大会」が行われました。

我が無想会の本部道場生並びに日本会員の数名が出場しました。

しかし、残念ながら全員予選敗退だったようです。

しかし、この結果は予想通りで、驚くものではありませんでした。

これは無想会の型がダメなので無く、凄すぎて理解出来なかっただけなのです。

これは決して負け惜しみではなく本当なのです。

しかし、(自称)ロマンチストな師範はブログで>>自分が危惧していたことが、沖縄空手界で現実に起こっていることを、目の前にして、非常に落ち込んでいたわたくしです。

とおっしゃっていました。

しかも、>>じつは生徒が予選敗退した時に、〜中略〜生徒に見限られるのも覚悟の上でした。〜中略〜世界総本部道場の生徒は、最初からわたくしと無想会の空手しか知りません。 その自らが学んだ空手が、大会でまるで違ったものであったと認識した場合には、上記の感想が出てもオカシクはありません。

とまで記されています。(しかし、読ませる文章にする為、大袈裟に書かれている可能性もありますが)

実はこの状況は、私の道場生と全く同じなのです。子供はもちろん、一般部まで。

師範と同じなどと言うのは、おこがましいことこの上ない事は重々承知の上なのですが、うちに来る子供達はうちの空手しか知りません。

うち(東広島)の道場では、型だけでなく、希望者には3年生以上なら組手もさせます。一応防具付きで行いますが、安全性の面から、顔面はありません(硬式空手の大会に出る時は期間限定で行いますが)。

そこでは、まあ、子供という事もあり、少しスポーツ的な組手の技術も教え、怪我をしないようにという意味で、「受け」の技術も教えます。形的にはフルコンの技術に近いと思います。

そんな子供達も5、6年生になる頃には技術も上がりかなり激しく組手が出来るようになってきます。

そんな5、6年生が、ある日こんなことを言い出したのです。

「受けって使えんよね」

私はちょっとビックリしながら「オッ」と思ったのです。

しかも、一人ではなく、続けて他の子も、

「分かるー、使えんし、間に合わんね。」

そうなんです!彼らは、身で実感しているのです。そして、感じたことを素直に言葉にするのです。

「受け」なんて誰も使えないのです。

でも、大人達は、真面目に真剣に「使えない受け」を練習するのです!

空気を読み、忖度し、自分を騙しながら。そして自己に暗示をかけるのです、「受けは使える」と。

そして>>「武術としての空手」なんか何処にも無く、ダーレも遣ってなかったっということです。

という状態になるのです。

実は、私も師範と同じように、「これから空手がオリンピック種目になって、メディアでよく目にするようになると、子供達が、うちの空手っておかしいって思うのではないか」、と思っていました。

しかし、この「受けは使えない」との言葉を聞いた時、思いました。彼等が、オリンピック空手で「受け」の技術を見た時、こう思うのだろう。「えっ!?あんな受けで、攻撃を受けられるって本気で思っているの?!」

子供ですら、「受け」は使えないと気付くのです。しかも、競技で発展した技術であっても、分かるのです。

それを物事の分別がつく(といわれる)大の大人たちが、気付かないのです。いや、耳を塞ぎ、自己に暗示をかけてすらいるのです。

しかし、初めに本物に出会った者は子供でなくても、空気を読む暇もなく、おかしい!と感じるでしょう。

もし、これで「正しい」と言い出すことがあるのであれば、それは多数派に負け、同調してしまった結果なのでしょう。

それでも、正しい動きを知り、理論を理解し、自身で説明出来る状態であれば、そんな事は無くなると信じています。

我々は「和して同ぜず」の精神で、この道を突き進むのです!

 

以上、文責は筆者にありますが、間違い勘違いがあっても一切責任を取りません。

知らんけど。

 

 

 

 

 

7/27(金)動くと脚が跳ね上がる

暑い日が続くと思ったら、今度はとんでもない進路で台風が来ております。

7/27の稽古は久しぶりに形(型)中心の稽古をしました。

以前から、空手の動きの認識が変わってきています。前回のブログでも歩き方が変わってきたと記しましたが、形を行うとそれは如実に現れます。

歩く脚が自然と跳ね上がるのです。前方に進む時はもちろん、後ろに移動する時も脚が跳ね上がります。すると、今まで無理に作っていた脚の形が自然に出来るようになるのです。

「ああっ、だからこの脚の形なのか〜」

と感心するばかりです。

突きも蹴りも歩きも、落下して激突させればいいのです。

すると全て自然に、寧ろ勝手にと言っていいくらいのタイミングで技がでます。

そして、それは強く、速いのですが、全て柔らかな動きです。

これが完璧に出来れば、速く動いても忙しくはならないはずです。

ゆったりとしているが速く、あれよあれよというまに終わってしまう形。

本部朝基のナイファンチがそうだったとか(見たことはないですが、師範の本には書いてあったような)。

まあ、私のナイファンチがそこまでなるかは、果てしない夢かもしれませんが。

以上、文責は筆者にありますが、間違い勘違いがあっても一切責任を取りません。

知らんけど。