この8/1〜8/5にかけて「第一回沖縄空手国際大会」が行われました。
我が無想会の本部道場生並びに日本会員の数名が出場しました。
しかし、残念ながら全員予選敗退だったようです。
しかし、この結果は予想通りで、驚くものではありませんでした。
これは無想会の型がダメなので無く、凄すぎて理解出来なかっただけなのです。
これは決して負け惜しみではなく本当なのです。
しかし、(自称)ロマンチストな師範はブログで>>自分が危惧していたことが、沖縄空手界で現実に起こっていることを、目の前にして、非常に落ち込んでいたわたくしです。
とおっしゃっていました。
しかも、>>じつは生徒が予選敗退した時に、〜中略〜生徒に見限られるのも覚悟の上でした。〜中略〜世界総本部道場の生徒は、最初からわたくしと無想会の空手しか知りません。 その自らが学んだ空手が、大会でまるで違ったものであったと認識した場合には、上記の感想が出てもオカシクはありません。
とまで記されています。(しかし、読ませる文章にする為、大袈裟に書かれている可能性もありますが)
実はこの状況は、私の道場生と全く同じなのです。子供はもちろん、一般部まで。
師範と同じなどと言うのは、おこがましいことこの上ない事は重々承知の上なのですが、うちに来る子供達はうちの空手しか知りません。
うち(東広島)の道場では、型だけでなく、希望者には3年生以上なら組手もさせます。一応防具付きで行いますが、安全性の面から、顔面はありません(硬式空手の大会に出る時は期間限定で行いますが)。
そこでは、まあ、子供という事もあり、少しスポーツ的な組手の技術も教え、怪我をしないようにという意味で、「受け」の技術も教えます。形的にはフルコンの技術に近いと思います。
そんな子供達も5、6年生になる頃には技術も上がりかなり激しく組手が出来るようになってきます。
そんな5、6年生が、ある日こんなことを言い出したのです。
「受けって使えんよね」
私はちょっとビックリしながら「オッ」と思ったのです。
しかも、一人ではなく、続けて他の子も、
「分かるー、使えんし、間に合わんね。」
そうなんです!彼らは、身で実感しているのです。そして、感じたことを素直に言葉にするのです。
「受け」なんて誰も使えないのです。
でも、大人達は、真面目に真剣に「使えない受け」を練習するのです!
空気を読み、忖度し、自分を騙しながら。そして自己に暗示をかけるのです、「受けは使える」と。
そして>>「武術としての空手」なんか何処にも無く、ダーレも遣ってなかったっということです。
という状態になるのです。
実は、私も師範と同じように、「これから空手がオリンピック種目になって、メディアでよく目にするようになると、子供達が、うちの空手っておかしいって思うのではないか」、と思っていました。
しかし、この「受けは使えない」との言葉を聞いた時、思いました。彼等が、オリンピック空手で「受け」の技術を見た時、こう思うのだろう。「えっ!?あんな受けで、攻撃を受けられるって本気で思っているの?!」
子供ですら、「受け」は使えないと気付くのです。しかも、競技で発展した技術であっても、分かるのです。
それを物事の分別がつく(といわれる)大の大人たちが、気付かないのです。いや、耳を塞ぎ、自己に暗示をかけてすらいるのです。
しかし、初めに本物に出会った者は子供でなくても、空気を読む暇もなく、おかしい!と感じるでしょう。
もし、これで「正しい」と言い出すことがあるのであれば、それは多数派に負け、同調してしまった結果なのでしょう。
それでも、正しい動きを知り、理論を理解し、自身で説明出来る状態であれば、そんな事は無くなると信じています。
我々は「和して同ぜず」の精神で、この道を突き進むのです!
以上、文責は筆者にありますが、間違い勘違いがあっても一切責任を取りません。
知らんけど。