沖縄空手無想会(東広島)

新垣清最高師範によって再興された沖縄武道空手を広島で追及していく様子です。

令和元年6月沖縄セミナー

沖縄セミナーに参加してきました。

私の体調が自律神経の異常で最悪の中の参加でした。

まあ、ギリギリ多少回復もしましたが、帰ってきてからも、不眠症に悩まされているので、簡単にセミナーの感想。

セミナーの感想というより、今回のメインテーマでした五十四歩について簡単に。

新垣師範のの解明した五十四歩は悉く実戦的でまさに使える形として復元されていました。

しかも、それは私が以前所属していた喜屋武系の流派の五十四歩そのままであったというのはあまりに面白く、帰宅してから改めて喜屋武系の五十四歩を動画で確認したのですが、なんだ、そのまま残っていたんじゃないか!と驚かされてしまいました。喜屋武系流派の無修正主義もあながち嘘ではないんだなと!

しかし、その解釈はあまりに違うが故に、全くの別物ではありますが・・・。

まあ、そんなこんなで、講習会中でも、えっ!この動きが本当はそういう意味だったんだ!えっ!解釈は違うものの動きはそのままやん!なんでそんな変わり方してしまったんだ?!

と驚きばかりで、笑いが込み上げてしまいました。

しかし、これを解明された師範は「悲しくなったり、腹が立って怒りが込み上げたりもしたよ!」と。

それは、沖縄人として沖縄の文化財産が、沖縄人の手によって変わり、忘れられてしまった当事者としての心情なのでしょう。

 

以上、五十四歩についての簡単な感想でした。

上記のように体調不良のため推敲もなにもしてない文章なのでめちゃくちゃではありますが、お許し下さい。

回復しましたら、今度はもう少し詳しくセミナーの様子を報告したいと思います。

 

終わり。(=゚ω゚)ノ

立ち方3年

「立ち方3年」という言葉がありますが、全くその通りです。

しかし、以下は私の現時点での解釈ですが、「立ち方は3年という長い年月をかけてでもマスターする価値は充分なほどある」という意味であり、立ち方を覚えるのに3年かけなさい、という意味では無いと考えています。

ですから1年で出来れば1年で極めてしまえばいいし、才能があれば1ヶ月であっても構わないと思います。

逆に、才能もなく理解も進まない場合は何年かかってもマスターするべきでしょう。

立ち方を極めてしまえば、後の理解は格段に変わってきます。武術として「立ち方」が出来るのと出来ないのとでは、修行を続けた行き先には全く別のものになっているでしょう。

そしてもっと正確に言えば、「立っていながら浮いている、即ち立つという止まった状態にありながら同時に落下している状態になれる方法を3年かけてでも体現せよ、3年かけるだけの価値はある!」ということだと考えています。

以上、文責は筆者にありますが、間違い勘違いがあっても一切責任を取りません。

手の内の考察

前腕部の骨には尺骨と橈骨が存在します。この2つの骨、上腕骨に直接繋がっているのは尺骨のみで、橈骨は繋がっていません。橈骨は輪状靱帯によって尺骨に繋がっています。

ですから、背中で作ったエネルギーは尺骨に伝わっていき、表面に出る時は小指球の部位に出てきます(師範曰く手の踵)。拳にすると尺骨の直線上にある薬指、小指の拳に直接的に伝わっていきます。

しかし、このままではまだエネルギーが使い切れていません。

ここで、橈骨と尺骨を車に例えます。尺骨を車の車体、橈骨を運転手、輪状靱帯をシートベルト、更に広背筋をエンジンとしましょう。

広背筋は車体である尺骨は動かすことは出来ますが、運転手である橈骨については、直接は動かすことは出来ません。実際輪状靱帯が外れると手を動かすことが出来なくなります。ですからしっかりと輪状靱帯というシートベルトで車体たる尺骨に固定して始めて尺骨はスムーズな移動が可能となります。

そして、急激に広背筋のエンジンをかけ、車体の尺骨を動かします。これだけでかなりのスピードが出ますが、更にスピードを上げます。尺骨側の小指で急ブレーキをかけ、尺骨を急停車させます。すると車体からは独立している運転手、橈骨がシートベルトにつながれながも、急激に飛び出してしまいます。ここまででかなりのスピードが加速されていますが、最後にこのスピードをコントロールして一点に集約させるため、親指を締め、重量落下させると重さも加わって目標物にぶつかるということになります。これも例え話で言いますと、運転手が身体を固めてフロントガラスにぶつかっていく時上手く前頭骨の一番硬いところをコントロールして当てていくと言えると思います(最後はちょっと無理があるかな?)

以上、手の内及び突きのエネルギーの変換を分かりやすくなるよう具体的に例えてみました。

(例え話ってだいたい分かりにくくなるんだよなあ…)

以上、文責は筆者にありますが、間違い勘違いがあっても一切責任を取りません。

腕は添えるもの

どうもチンクチというか、トルクというか、こやつらを掛けるタイミングというのが重要なようだ。

腕を添えてチンクチ(トルク?)を掛けるとエネルギーが爆発的に突きに浸透する感じがする。

もちろん、ほんの一瞬のタイミングの違いであるが。

しかし、この「添える」という表現は少し誤解を生むかもしれない。別に力を抜く(脱力する)わけでは無い。しかし、確かに腕は「添えて」いる。

これは蹴りでも似たような感覚で行うと、爆発的にエネルギーが伝達される。

まだ、試行錯誤中ではあるが…。

気付いたことをメモ書きしたまでです。

 

以上、文責は筆者にありますが、間違い勘違いがあっても一切責任を取りません。

平成23(2011)年3月11日

夜のニュースを見て今日が3/11だという事に気付きました。

全く世間に疎くなっています。

この年、新垣師範の日本セミナーが始まりました。年明けくらいからセミナーの具体的な日程、場所など話が進みかけていた時に、東日本大震災という未曾有の大災害が起こり、この年のセミナーの開催すら危ぶまれていました。

しかし、数ヶ月経つと徐々に落ち着き、10月に無事セミナーが成功裏に終えることが出来たのでした。

お陰で第一回のセミナーは何年にあったか、忘れることが出来なくなりました。

新垣師範は「この震災で日本人は変わってゆく」と仰っていましたが、それは果たして良い方向に変わるのか、はたまた悪い方に…か。

未だ行方不明者は数千人単位でいるそうです。東北地方の人口はこの8年間で、30万人減ったそうですし、原発事故周辺地域は未だ帰還することができません。それなのに原発事故周辺地域にはもう帰ることができない!と訴えたら、何故か非難されます。

最低20年以内に帰れないのであれば、その地域の歴史、文化、共同体は完全に断絶されます。何故なら世代が変わってしまうからです。ですから20年以内というのは世代を繋ぐ為のギリギリの年数なのです。

原発は完全にコントロールされている」などという発言は誤魔化しであり、いや、大嘘と言ってもいいでしょう。でまかせにすらなっていません。

そして、東北の海岸線は巨大な防波堤により失われてしまいました。

20年前、私が青春18切符を使って日本縦断の旅をし、鈍行列車に揺られて見たあの美しい風景は、もう見られないそうです。

愚痴っぽくなって、あまり良くないですね。

本来ならもっと東日本大震災について公的に発言すべきところですが、ブログ自体、無想会東広島ということで、東日本大震災と無想会との関わりについて記しました。(後半はほとんど私のフツフツとした世間に対する愚痴ですけどね)

 

しかし、本心は、東北地方の本来の姿への復興と発展、また原発事故の真の収束を願っております!

 

 

 

闇夜に霜を聞く

最近(少し期間は開きましたが)、技に於けるエネルギー伝達の事と、そこから派生して基本についての再認識について書きました。

なぜ、今更、エネルギー伝達なのかというと、最近の稽古で背中からエネルギーが派生し、伝達され、手先、足先に放出される感覚を鮮明にに感じる事が出来たからです。

知識から体感に変化したのです。

この感覚が基本の再確認に繋がったのです。

しかし、これにはまだ課題があります。

師範の動きを三度確認すると、技が完全な手打ちとして“ボッ!”と出ているのです(「手打ち」に関しては説明が大変なので、無想会会員以外で興味在る人は新垣師範の著書で確認して下さい)。

師範の行うナイハンチなどの形で時折見せる何気なく出している突きがあまりにも見事なのです。

体のいずれも動くことなく腕だけが「ボッ!」と出てくるのです。師範の著書の表現を借りると「まさに空間を切り裂くように」突きが出ています。

これは恐らく身体内で作られたエネルギーを無駄なく腕に伝える事が出来ているためだと思われます。

翻って私がエネルギーを身体内で作ろうとすると、大きなエネルギーを作ろうとしすぎて動きが身体外に出てしまうのです。

そう鑑みると、もう一度基本に立ち返らざるを得ないなと結論づけられるのです。

今の私の課題は身体を全て締める、腕や手の内のみならず広背筋や脚に至るまで全て締めれるようにならなければなりません。

これは三戦の形のように身体を固めるのではなく、雑巾絞りのように絞ることです。

身体の締め・絞りが有るからナイハンチはあの形(カタチ)なのです。用意で立った瞬間、指先まで伸びるのはエネルギーが指先まで伝わっている証拠です!

ひいては全ての形も一緒です。

だから動かない身体からエネルギーを動くことなく派生させることが出来、「闇夜に霜を聞く」ように技を出す事が出来るのでしょう。動かないからこそ、この様な表現が当てはまるのだと思います。

ちなみに「闇夜に霜を聞く」というのは鉄砲の引き金を引く時に使われる表現です(詳しくは「沖縄武道空手の極意3」参照)。これは鉄砲の弾に対する言葉ではなく、つまり突き蹴りそのものに対する表現ではなく、技の引き金、即ちエネルギーの出所に対応する言葉です。

技の引き金はどこか?

身体内です。

以上、文責は筆者にありますが、間違い勘違いがあっても一切責任を取りません。

空耳

手の内の考察をしていると、身体の筋肉の締めが足りないと気付き、この締めは何の為にやっているかと考えるとエネルギーの伝達の為であると気付く。

すると、エネルギー伝達を拳先まで行き渡らせるには、指先をキチキチに伸ばす貫手の稽古が良いとなってくる。

更に指先までエネルギーを無駄なく伝える為の稽古は何をするべきかと考えると、肘の筋抜きが一番効率が良い。

突き詰めれば、初心に帰って行くのが面白い。

「だから、俺は7年前からずっと言ってるじゃない!!」

何か聴こえてきましたが、多分空耳でしょう…。