沖縄空手無想会(東広島)

新垣清最高師範によって再興された沖縄武道空手を広島で追及していく様子です。

7/24(火)突きは重力落下ではない

前回、突きは「波」であると理解することによって様々なことが繋がってくると記しました。

火曜日の一般部の稽古で、その繋がりを確認するため、更に解釈を深めるようと自分の突きと会話するように稽古しました。

その繋がったことの一つを記したいと思います。

波である突きを打つ時、以前と感覚が変わってきたのが重力落下の使い方でした。

無想会で最初に突きを学ぶ時に教わるのは、とにかくそのまま体を素直に落下させることでした。人間、意外と重力に従って落ちることには抵抗があり、凄く難しいのです。

とにかく、この重力落下を体得するだけで6年もかかりました。(なんと情け無い、とは言わないで下さい)

ですから、私はずっと突きとは対象物に重力落下で体重を乗せることだと理解していました。

しかし、これまた、正しくもあり、間違いでもあるのではないかという考えに至っています。

重力落下だけで突きを打つのでは足りないのです!。これだけでは「波」にならない。

ではどうするか?「トルク」を使えば答えが出ます。

落下した身体に「トルク」を激突させ、腕にその衝撃を伝えます。そして、相手に当たる瞬間に手の内のトルクを激突させると突きが「波」となって完成されます。

文章にすれば長いですが、もちろんこれはほぼ一瞬の出来事です。

この時、突いた私の感覚では、突きは重力落下そのものではなく、重力落下は「波」へと変換されています。

これは火力発電が良い例えになるかもしれません。

火力はそのままでは電気になりませんが、蒸気に変換させ、タービンを回す事によって発電されます。火力そのものでは電気を作り出すことは出来ません。

同じ様に、重力落下そのものでは「波」は作り出すことは出来ないので「トルク」を使って「波」に変換させることが出来るのです。

だから、このブログの題名のように「突きは重力落下(そのもの)ではない」のです。

それを才能のカケラもない私は一生懸命相手に体重をかけようとばかり考えていたのです。

しかし、この体重を掛けるということを無駄なく出来なければ、重力落下を「波」に変換するということは出来ないのではないかとも思っています。

「重力落下なくんば、エネルギーの出所なし」といったところでしょうか?

いわば、必要な通り道といえるでしょう。

ですから、体重はかけるのは重要なのですが、それは突きの本質ではないといえるのではないでしょうか?

とにかく言葉にするのは難しい、全部正しいのです。でも全部それだけでは足らないんですよ!!(なんとももどかしい)

さらに副産物として、重力落下を「波」に変換することで、天地線というのがはっきり認識出来ます。

落ちてくる身体に対して、トルクを掛けて、下から上に向かって激突させる、この場所こそ天地線であると気付かされます。

今の私が解釈する突きを言語化すると、右の突きを打つと仮定して、正しいナイファンチ立ちから仮想の重心に向かって重力落下が始まります。左の広背筋、腰方形筋を腰辺りの正中線に向かって締めます。同時に腕を締めるため、右の広背筋も締めます。結果的に左右同時に締められることになり重力エネルギーが圧縮されることになります。そこに右腸腰筋を下から天地線で激突させることによって波のエネルギーに変換され腕に伝わっていきます。腕は正中線に向かって激突し、肩の滑車の原理で手が跳ね上がろうとするので手の内でトルクを掛けて上がってくる腕に激突させ、完全な波のエネルギーに変換させることで対象物に波となって入り込んでゆく。

以上、まだまだ不完全なところもあるとは思いますが、今現在、私が解釈する突きのエネルギーの創出方法です。

以上、文責は筆者にありますが、間違いがあろうが、勘違いがあろうが一切責任を持ちません。

知らんけど。